サンフランシスコの『食』領域で活躍する日本人オーナーに迫る
第一回 デリカ(DELICA)岩田社長
アメリカに暮らしたことのある方なら、誰しも一度は日本のデパ地下を恋しく思うのではないだろうか。駅から直結といった気軽に立ち寄れる好立地に、名店の味、手の込んだお惣菜、宝石のようなスイーツが所狭しと並び、こだわりの味を手軽に持ち帰れる。おもたせにも頻繁に登場する、無くてはならない存在だ。
食の街として定評のあるサンフランシスコですら、デパ地下的なものはほとんど見かけることはない。強いて言うならば、フェリービルディングが最もそれに近い存在であろう。実はフェリービルディングの中には、当地に住む日本人の強い味方であり、日本食文化の普及に広く貢献している、お惣菜店デリカ(DELICA)が入っている。今回は、そのオーナーである岩田社長に、知られざる裏側のエピソードを伺った。
MBA留学後に社長就任
30歳まで麒麟(キリン)ビールでバリバリの営業マンをしていたという岩田社長。当時はビールをジョッキで20杯も飲めるほどのツワモノだったという。30歳を迎え、以前から頭の中にあった「会社を辞めてMBA留学をしたい」ということを奥様に告げた時には「バスケットボールちゃうで!どれだけ難しいか分かってんのか!」と一蹴された。
しかし、自分のやりたい気持ちを理解して、後押ししてくれたという。夫人の支えもあって、退社後すぐに渡米し、ESL(第二言語の人向けの語学学校)に通いながら、全くダメだったという英語と、MBAに必要な試験などを二年で克服。翌々年から見事、MBA留学生となった。
デリカがオープンしたのは、岩田社長がMBA生だった約11年前。『RF1』のブランド名で日本のデパ地下に約350店舗を持つ、株式会社ロック・フィールドの海外第一号店として、フェリービルディングに開店した。
しかし、当時は日本食への理解も低く、今でこそもてはやされている『ベントーボックス(Bento Box:お弁当)』もなかなか分かってもらえなかった。アメリカで最も有名な日本食といえば、実はテリヤキチキン。日本では、お惣菜店でほとんど見かけることのないテリヤキチキンなのだが、これが置かれていなければ、テリヤキチキンが置いてない日本食とは何事だ!と言われる始末だったという。
岩田社長に白羽の矢が当たったのはそんな頃。元々ご本人が食に対する興味が非常に強かったこと、4年のアメリカ生活から彼らの求める食へのニーズを理解していること、などから、卒業後に当時のアメリカ法人社長に就任することとなる。
『二年以内に売上を二倍にする』と自分にノルマを
就任にあたって、岩田社長は自分自身に目標を課した。それは『二年以内に売上を二倍にする』というもの。ここから岩田社長のローカライズ力が試されることとなった。以下のような具体的な策を講じた。
- 従業員の現地採用
- 食材の調達を、日本からではなくローカルの農家から仕入れ
- 健康に敏感なサンフランシスコ向けに、化学調味料を使わず、オールナチュラルを打ち出す
- ベジタリアン、ビーガン、グルテンフリー対応
その結果、作っているのはトラディッショナルな日本食でも、徐々に受け入れられるようになり、自分自身にノルマとして課した『二年以内に売上二倍』を達成した。その後も売上は順調に伸びていた。しかし、折しも訪れたのがリーマンショックである。
全財産を投げ打って、アメリカ事業を買い取り
リーマンショックになって、採算性の低い店舗が閉店対象になり、フェリービルディング店もその対象になってしまった。しかし、当時自分を慕ってくれていた従業員を、そんな経済状況の中放り投げることはできず、ここで岩田社長は男気を出して、大勝負に出ることを決意する。
日本の株式会社ロック・フィールドの100%子会社だったアメリカ法人を、財産を投げ打って買い取りすることにしたのだ。社長に直訴し、結果、アメリカ法人を買い取って日本との資本関係は一切なくなった。後ろ盾や、メニュー開発といったリソースを失い、でもやったるぞ、という気持ちひとつで再出発した。この時も夫人が支えてくれたという。
買い取り直後の、家賃3倍宣告
そんな状況に追い討ちをかけるかのように、独立直後に訪れたのがまさかの家賃3倍宣告。当時のフェリービルディングの担当者から、翌年の家賃を3倍にすると宣告されたのだ。全くの寝耳に水であった。「リーマンショックでどのお店も売上が20%〜30%低下する中、3倍の家賃更新は馬鹿げている」と交渉したものの、担当者側は、「他にフェリービルディングに入りたい人は山ほどいるのだから、払う気がないなら出て行ってくれ」と強気の姿勢を崩さなかった。
デリカを応援してくれる人らが、署名活動などの抗議を行ってくれた結果、何とか家賃2倍で落ち着いた。それでも2倍となった家賃は重く、営業・メニュー開発・デリバリーなど何でも自分でこなしたと言う。
長年かけて築いた近隣店舗やファームとの関係
そんな中、同じフェリービルディングに入居している専門店やファーマーズマーケットに出店する農家から、パン粉やキノコ、野菜といった原材料を仕入れする、『究極のローカル仕入れ』によるメニュー開発をスタートした。この究極のローカル仕入れは、岩田社長が初めに行ったのを皮切りに、フェリービルディング内に伝搬したと言う。それ以前はあまり関係が良くなかったという、ファーマーズマーケットに出店する農家とフェリービルディング内の店舗との関係も、岩田社長が率先して出店するファームから仕入れ、同時にファームの名前も出す(宣伝する)ことで、関係性が徐々に改善されてきた。
先日催された、年1回の農家とフェリービルディングに入居する店舗とのパーティの時に、農家の代表者から、『ここまで関係が改善したのは岩田社長のおかげ』と締めの挨拶があった時には、本当に嬉しかったと話してくれた。そうやって長年かけて築いた関係によって、まさに現在のキーワードである『ファームトゥーテーブル』、『サステイナブル』を実現している。
近隣のアクメブレッドから仕入れたパン粉で作ったコロッケの衣はサクサク。もう一方は蟹の存在感とクリーミィさを両立したカニクリームコロッケ。わずかに感じるカイエンペッパーの辛さが、意外ながら、よく合って美味しい。
知られざる人気メニュー
日本食に対する認知も高まり、ベントーボックス(お弁当)は人気商品になった。当時、虫と勘違いされた(失礼な話である)ひじきも売れるようになった。しかし、知られざる人気メニューがある。それはベジタリアンカレー。ベジタリアンの多い当地で、肉を使わず同じレベルの旨味を出すために、試行錯誤をして生み出したこのカレーは、昆布や干し椎茸や野菜出汁などの旨味を使って作り上げた。実際に食べてみると、肉が入っているカレーに遜色ない美味しさである。
ある時、常連のインド人から『僕は産まれてからずっとベジタリアンで、ほうれん草カレーやひよこ豆カレーといった同じようなカレーばかり食べてきて、美味しいカレーは一生食べられないと思っていた。でもこんな美味しいカレーを日本人が作ったとは驚いた、ありがとう』とわざわざ言いに来てくれた、というエピソードもあるほどの人気商品なのだ。
左上がビーフカレー、右下がベジタリアンカレー(注:今回取材用に特別に作ってもらったもので、両方入ったカレーは販売していない)。ビーフカレーのビーフは、丸一日漬け込んだ後に、カレーに投入することにより、まるでビーフシチューのように柔らかい。ベジタリアンカレーも、前述のように旨味たっぷりでビーフカレーに引けを取らない美味しさだ。
拡大する事業と今後の展開
昨今のシリコンバレー・サンフランシスコのIT企業の盛況で、企業向けのケータリングや個人向けのデリバリーサービス(アマゾンフレッシュ、ポストメイツ、キャビア、イート24など)の需要が拡大。特に企業向けのケータリングは大幅に伸び、1,000個のお弁当の注文が入っても、前々日迄に分かれば対応出来る体制を整えているという。
ローカルに馴染むよう努力してきた結果が実を結び、今では日本人のお客さんは5%程度で、残りの95%は現地の人というところまで、現地化が進んでいる。岩田社長いわく、日本食(特にベントーボックス)に対する需要も確実に高まっているので、ベントーボックスを出すだけの、小規模なキヨスクタイプのお店を出店することも考えているそうだ。
サステイナブル(持続可能)かつ良質なサーモンを使ったサーモンのロール寿司と、16穀米を使用したベジタリアン向けロール寿司は、新たに開発したメニュー。
「ちゃんとしたお金を出すと、安全でおいしいものが食べられるというイメージを確立させたい」と話す岩田社長が取り扱う食材は、安心・安全・オーガニック・サステイナブルなものばかり。化学調味料も使用しない。サンフランシスコの人々のニーズを上手く捉えた、新しい形の日本食を発信していく同店。今後も展開が楽しみだ。